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  2015/3/14

私はもっぱら遠藤周作氏の著書しか読まないのですが、今回は夢野久作氏の『少女地獄』の第一部「なんでもない」から、嘘とは何であるのかを考察しようと思います。

あらすじとしては、自分の空想の中を生き、その為に嘘を繰り返していかねばならなかった少女の話です。彼女は諸事情により、嘘に嘘を重ねていきます。そして結果として、自殺をせねばならない状況になるのです。

私が日々の中で嘘を言い重ねているのかはここで言及しませんが、嘘に嘘を重ね、本来の人物像がわからなくなることは確信できます。
真実を語らず、さも現実かのように嘘の中で生活をしていると、それ自体が現実となり得ます。

果たして誰も気づくことのない嘘は嘘であるのでしょうか。
最初に出会ったときに真実とは異なる情報を発信し、最後まで突き通したとしたならば、それは嘘ではなく一種の現実と考えられます。

当人にしか知り得ない物事は、決して他者にはわかるはずはありません。
なぜなら、本来は自分のことですら全てを知ることはできないからです。

周囲から判断される人物像は当人にとってどういった意味をもつのでしょう。
他者から見た人物像や評価は、あくまで参考程度なのです。
誰からどう思われ、どう言われようと、気にならないのであればそれで十分だと思います。

しかし問題は、自己に対する人物像のイメージと、世間から見た人物像のイメージの差異が大きい場合です。

この中で、例えば、嘘を重ねた結果の人物像が他者からのイメージとして固定されたとして、その世界で生きていくのは非常に苦難に満ちたものとなるでしょう。

友人や知人から始まり、そして家族にも嘘を言い続けたのだとすれば、真実を知っているのは本人のみとなります。
そうすると、それらの嘘を全て集約するのは本人でしかできないのです。

『少女地獄』の登場人物「ユリ子」は、虚構を重ね過ぎたが故、その虚構の崩壊に耐えられなくなり自殺するのです。

私が彼女と同様に虚構を重ねて生きているのだとすれば、私も彼女と同じ道を歩むことは自然かつ当然であるはずです。

この数年間、あまりにも多くの嘘を言ってきたのは事実です。
その報いをどう償うのか、近いうちに決断しなければなりません。